水を得たさかな

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人生において苦痛を感じる2つのこと

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会社に退職願を出してくる。
むしろまだ出していなかったのかという感じだが、
今までは人事に有休について問い合わせたり、退職の意志を伝えて承諾を得たりしていたところだ。
そして、予定どおり有休のほとんどを消化して辞めることができそうだ。

一応、退職日をいつに設定するのが得なのかについても調べた。
よく言われているのは月末にするしないで社会保険料の支払いの仕方が変わってくるということのようだが、末で良いだろうという結論に至った。
後は5月に入ってしまうと連休があることによってどうなるのかとかとか……
その辺の仕組みはネットにめちゃくちゃまとめられているので、気になる人はそれを調べると良いだろう。


後は退職願を書面で出せば回送されて終わりという手筈になっている(はずだ。)


ここでイライラするのが、この書面でってところなんだよ。
どう考えたって紙で有る必要性がない。無駄で非効率的なことなんだよ。

私が苦痛を感じることの1つはこの、無駄なことに時間をかけることだ。

だからさらっと有休関連の確認のついでに人事にもメールで聞いてみた。
「書面でなければ有効性はないのか?」と。
規則に記載がない限りそんなはずはないだろう。

そうしたら、その質問に対しての直接的な回答はなく「上司と合意の上で」だと。
波風を立てるなという意味だろうと察した。だから仕方ない。
「立つ鳥跡を濁さず」という言葉もあるように書面を用意することにしたのだが、無地の封筒が売ってねえよ!

どこで買えるのかとググったら、みんなAmazonとかで買うらしい。
というか……退職願用の封筒と便箋同封の退職セットってなんだよマジで。
これってつまり、またそういうの売りたいやつらが適当にでっち上げたマナー何じゃないのか?
どう考えたってコストと時間の観点から考えて書面である意味がない。

こうしたとき、書面であることの意味を考えると証拠が残るからというのはあるらしい。
しかし、今の時代にそれがメール&pdfで存在することと、書面で存在することの何が違うのか?理解できない。

 
どうしてこういう手書き文化は廃れてくれないのか。

 

手書きが無駄だと判断する基準は何なのか?
それはコストと時間の観点から考えて非効率的だからである。
私にとってはこれらが掛からないものが良いモノで、余計に掛かるのが悪いモノだ。

だがしかし、そうではなくこれらが掛かってでも手書きにこだわるやつらが存在している。それは何故なのか?
つまり、そいつらの中には私とは違うなにか別の観点(さっきの”マナー”とか)が存在していて、それが正しいと考えているのだ。

私が苦痛を感じる2つ目はこれ、世の中には様々な観点が存在していて、共通の判断基準が存在しないことだ。

学生時代に読んだ幸福論に関する1冊の本があった。
もう名前も覚えていないので紹介することはできないが、
それにテストが付いていて、自分が人生において幸福を感じるには何が必要なのか?をテストしてくれた。

それで出た答えを大雑把に説明するとこうだった。
「お前は宗教にハマること」

この本すげえなと思った。そのとおりだ。
私は世の中の全ての人間に何か絶対的に正しいと思える基準が存在していて、全員がそれに従うだけで良いとしたら、それはどれだけ幸せなことか……と常に考えている。

肝は”全ての人間が”という部分だ。
もはやそれが倫理的に良いとか悪いとかいう事もない世界。
全員が正しいと思える何かひとつの基準が存在してさえいれば良いのだ。

法律こそが正しい。時間こそがすべて。王の命令は絶対。AIや教祖様の出した答えが正しい。
なんだっていい。全員が「それは正しいこと」と思って絶対的に従う基準が存在すれば、そこで衝突は発生しないのだ。

さっきの退職願の件はそういうことだ。
上司も私も「規則にある事が絶対的に正しい。規則に従うことが正義、幸福を感じる。」という認識でいれば「書面でしか有効性が無い」と規則に記載されているならそれは書面でなくてはならない。逆に記載がないなら書面である必要はない。規則にあるか?Yes,Noで終わりだ。
絶対的な基準が存在しないことによって、各個人が別々の観点から勝手な判断をすることができる。
こんな世界は終わりにしなくてはならない。

 

スケールがでかくなりすぎたので話を戻すと、
まあ要するに、基準が制定されていないために各個人が勝手な判断ができるようになっていることが気に入らないのだ。

仕事の資料作りが嫌になった理由もそれかもしれない。
ツールの使い方のマニュアルとか作成させられていたわけだが「こう書いたほうが伝わりやすい」とかいって正式名称ではない言葉を用いる。
この行為自体は間違いではない。「こう書いたほうが伝わりやすい」というのが、別の呼称を用いることで、その伝えたい対象全員が同一のイメージを持つことができるならそうしたほうが良い。
ただそうではないからいつもイライラしていたのだ。
「こう書いたほうが伝わりやすい」はレビューしたやつが勝手に判断したことだったのだ。

 

私がここ1年でめちゃくちゃ勉強してきたものにSysML,UMLなどの統一モデリング言語がある。これらは私がさっき言ったようなことを無くそうという取り組みの一環だ。

この概念は、日本、いや、とりあえず私の会社は理想論とか言っていたので無いことは確実だ。
そして面白いことにこれらを勉強した人から会社を辞めてしまう傾向があるようだ。
いや、逆かもしれん。こういう考えを持つ者が興味を持って勉強するのが統一モデリング言語なのかもしれん。

もう何書いてるんだかわからなくなったので終わり。

とりあえずそういった技術的なことのまとめはいつか……そのうち……書きたいなと思っている。 

以上。